思考の種

日々の着想、思考を記録していく

人生のすべては、時間の利用の仕方次第で決まる。

人生のすべては、時間の利用の仕方次第で決まる。

私たちが持っている全てのものの中で、最も大切なものは時間である。
時間がなければ、生活の糧を得ることも、成長することも、人を愛することもできない。では、その「最も大切」な時間を私たちは十分に満足できるだけ持っているだろうか?
「自分の所有する時間に対する満足度調査」なるものがあるとすれば、きっと100年前の人類より今の人類の方が低いスコアであろう。

では、過去の人類に比べて私たちに与えられている時間は少ないのだろうか?

もちろんそのようなことはない。
時間はいつの時代も全ての人に平等に与えられている。
いや、むしろ平均寿命が延びたことや、世界の文明が二次関数曲線を描きながらより便利に効率的になっていることを考慮すると現代人の所有時間は多いはずだ。

それなのに、なぜ今の時代を生きる私たちはこんなにも時間の不足を感じるのだろうか?

私たちには選択肢が多過ぎるのだ。

毎秒あらゆる雑多な情報や選択肢が私たちの中に流れ込んでくる。
今地球の裏側で起きている出来事までもが私たちの貴重な時間を奪おうとしてくる。
問題は私たちの時間が圧倒的な量の情報ですでに埋まってしまい、そこから発生するあまりにも多い選択肢の中で身動きが取れなくなってしまっていることにある。

自分の時間を取り戻すには、現状に戦いを挑む覚悟が必要である。

今私たちの持つ時間のスペースを占有している犯人を見つけ出し、それが不要なものであれば即刻私の人生から退場させるという姿勢が必要だ。

時間泥棒を見つけ出す。

時間を取り戻すために戦う覚悟ができたら、まずは時間泥棒の特定に取り掛かる。
時間泥棒は意識の外に逃げるのが非常に上手いので注意が必要だ。
これは、1日の中で何にどれだけの時間を使ったかを思い出そうとしても、重要ではないことに費やした時間は思い出せなかったり、実際より少ない時間であったと認識してしまうということを意味している。

時間泥棒を捕捉するには取り締まりの網の目を細かくしなければならない。
具体的には1日の行動を分単位で記録し、たとえ5分間の行動であっても取り締まりの対象とするのだ。行動の記録は面倒な作業に感じるかもしれないが、1週間だけでもよいので正確に記録をとるようにする。
人は基本的には同じようなルーティーンで生きているので、1週間の時間の使い方を正確に記録すれば、1ヶ月、1年間の時間の使い方も見えてくる。

そして、全ての行動を捉えたら、それらの時間を分類して見極めるという作業を行う。

分類の仕方は自分が何を求めているかで多少変わってはくるが、基本的には「生きるために必要なことをしている時間」「目的のための時間」「それ以外の時間」という分け方で良いだろう。
目的の部分には、「成長」「夢の実現」「家族との絆」「資格習得」などといった自分が時間を取り返したら費やしたい事柄に置き換え可能だ。

分類が済んだら検問を行い、時間泥棒を特定する。

私たちの大切な「目的のための時間」を奪っている時間泥棒は「それ以外の時間」の中にいることが多いので、ここを重点的に検問し人生に不要なものは見つけ次第、人生の外へ強制送還させる。

何かに時間を使いたいと思った時にはまず初めに時間泥棒を退治することが非常に重要なポイントである。

このことに関してよく起こりうる失敗が2つある。

1つは時間泥棒の特定と対処が不十分なまま、新しくやりたいことの時間枠を取ろうとするケースだ。
当然ながら私たちが所持している時間の総量は決まっている。
既存の時間の整理が不十分なままで新しい時間枠を無理に入れようとすることは、すでに水が満杯の器にさらに水を入れようとする行為と同じであり、いくらやる気を注いでも溢れるばかりで定着しない。

もう1つの失敗のケースは、安易に「生きるために必要な時間」を削れば良いと考えるものだ。
例えば一番よくありがちなのが、「睡眠時間を削って時間を確保する」といったものだろう。
「生きるために必要な時間」を削るのは最終手段だ。
安易にこの時間を削るとパフォーマンスの低下が起こったり、場合によっては生活のバランスが崩れて深刻なダメージを受けることもある。
よって「生きるために必要な時間」を削るのは、もう他に削る時間がなくなって、それでもまだそれ以上の時間を要するという緊急事態の時だけにしよう。

大切なのは何をするのかではなく、何をしないかである。

スペースができれば自然に新しいものは入ってくる。もし新しく入ってきたものが自分の人生にふさわしくなければ、またスペースをつくればいいだけの話だ。

ところで、人生を有意義にするための時間の使い方とはどのようなものであろう?

1つの答えとしては、自分のためだけに使う時間を持つことではないかと思う。

社会で生きて行く中では各々に様々な役割があり、その役割の時間を否定するわけではない。
しかし役割の時間だけで、自分の人生を満たしてしまうのは、あまりにもったいないということだ。
貴重な時間を他人と向き合うことだけではなく、自分と向き合うことにも使うことによって、人生はより豊かになるのではないだろうか。
そして、自分のためだけの時間枠を設けることによって、時間の使い方にメリハリがつき、それぞれの役割の時間の能率も上がるであろう。

自分のためだけに使う時間とは、知的好奇心を満たす時間である。内省であったり、読書であったり、瞑想であったり…
時間泥棒から取り返した時間を使い、1週間の中で自分のためだけの時間をどれだけ確保することができるだろうか?
そして、それによって人生がどう変化していくのか?
試してみるのもよいのではないだろうか。

あなたは毎日24時間で生活するしかない。
24時間の中で、健康も楽しみも、金も満足も尊敬も得ていかなければならない。
また、その中で不滅の魂を向上させていかなければならない。
時間を正しく用いること、最も効果的に利用すること、これこそ最も差し迫った切実な問題である。
人生のすべては、この時間の利用の仕方次第で決まるのだ。

自分の時間 (単行本)より

どんなにつらくても今この瞬間だけは耐えられる。

どんなにつらくても今この瞬間だけは耐えられる。

心や身体が疲弊してしまっているとき、過去や未来に注意を向けてしまうと、よりいっそう疲れを感じてしまう。
このようなときに注意を向けるべきは「今この瞬間」だ。

先のことは分からないが、少なくとも今この瞬間は耐えられている。
その一点にひたすらフォーカスすることで前に進むんだ。

難しいかな?

話を分かりやすくするためにマラソンで例えてみよう。

私は今100kmのマラソンを走っている。
現在地はスタートからちょうど50kmの地点だ。
身体の節々は悲鳴を上げ、気力体力ともにもう限界だ…

ここで過去に注意を向けるとどのような思考になるか…
「すでにフルマラソン以上の距離を走っているんだ。ボロボロで当然だ。もうこれ以上は走れない…」

では、未来に注意を向けるとどのような思考になるか…
「ここまでなんとか走ってきたが、まだ今まで走った分と同じだけの距離が残っている。このつらさがこの先50kmも続くなど到底無理だ…」

過去、未来のどちらに注意を向けても時間が今のつらさを強化してしまう。
確かなのは今この瞬間だけは耐えられているということだ。

ここまで走った距離はすでに体力の限界を超えているかもしれないし、もう1km先まで走ることもできないかもしれない。
それでも今、足を1歩踏み出すことだけはできている。
今この瞬間の1歩にのみ集中する。
次の瞬間にはその瞬間の1歩を踏み出せるということのみに意識を集中する。

そうやって、今という瞬間のみを愚直に乗り越えて行くことで栄光のゴールまで辿り着くことができるのだ。

心が痛んでいるときに、たとえば将来が怖くて考えられないときや、過去が思い出すのもつらいとき、 私は現在に注意を払うことを学んだ。
私が今いるこの瞬間は、つねに、私にとって唯一、安全な場所だった。
その瞬間瞬間は、かならず耐えられた。
今、この瞬間、誰でもみなつねに大丈夫なのだ。
昨日は結婚がだめになったかもしれない。
明日は猫が死ぬかもしれない。
心待ちにしている恋人からの電話は永遠にこないかもしれない。
だが、今、この瞬間は、大丈夫なのだ。
私は息を吸い、吐いている。
そのことを悟った私は、それぞれの瞬間に美がないことはありえないと気づくようになった。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。より

.

「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」

ここでしばらく考えこみます。
それからようやく、さきをつづけます。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

またひと休みして、考えこみ、それから、

「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

そしてまたまた長い休みをとってから、

「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」

ベッポはひとりうなずいて、こうむすびます。

「これがだいじなんだ。 」

モモ (岩波少年文庫(127))より

蒔いた種からしか刈り取れない。

蒔いた種からしか刈り取れない。

これは世界を司る法則だ。

この法則は何時いかなる時にも作用する普遍かつ不変なもので、「カルマ」や「原因と結果の法則」などと呼ばれたりもする。
この法則は誰にとっても身近なもので、より良い人生を手に入れるためには特に重要なものだ。

しかし、この法則を理解して自分の人生に対して使いこなせている人は決して多くない。
殆どの人はこの法則について聞いても当たり前のことと聞き流してしまう。

例えば、リンゴの果実が欲しければリンゴの木の種を蒔かなければならない。
成長が早いからという理由でクスノキの種をいくら蒔いても将来的にその木からリンゴの果実を得ることはできない。

当たり前だ。

だが、その当たり前なこともそれが自分ごととなると途端に実践が難しくなる。

私たちの普段の生活において

  • 食べ過ぎれば太る。
  • トレーニングを続ければ身体は引き締まる。
  • 過度の飲酒は論理的思考力を低下させる。
  • 喫煙は健康を損なう。
  • たくさんの人を喜ばせれば、たくさんのお金が入ってくる。
  • 無駄な浪費をすれば手持ちのお金は減る。
  • 機嫌良く接すれば相手から良い印象をもたれる。

どれも言葉にすると当たり前なのだが、実際には私たちの願望と行動とは必ずしも一致していない。

覚えておくべきは原因なくして結果が生じることはないし、結果があるということは過去にその原因があったということだ。

望まない結果が出るのはなぜなのか?

望まない結果が出るのは、この法則の下においては蒔いた種を刈り取らないという例外はあり得ないからだ。
私たちのとる全ての行動は原因となり、必ず何かしらの結果をもたらす。
この法則から逃れることはできない。
そして、人生は常に選択を迫られる。
「選択しない」という選択では「選択しない」という種を蒔き、同様に「行動しない」という選択は「行動しない」という種を蒔いたことになる。

原因と結果は必ず繋がっていることを忘れてはいけない。

蒔いた種をより良く育てるためには必要なものがある。

蒔いた種が健やかに育つためには、大地の養分、太陽の光、水、時間が必要である。

大地

種が成長するにはしっかりとした土台が必要だ。
土台とは人格である。種を蒔いた者が収穫物にふさわしい人格を持っていれば、種はより健やかに成長する。

太陽

種の成長には太陽の光も欠かせない。
太陽とはエネルギーである。心が曇った状態が続いていると、健康な収穫物はなかなか育たない。

種を健やかに育てるには水やりも不可欠だ。
水やりとは日々の行動である。蒔いた種を育てるための行動を日々続けていくことが大切なのだ。

時間

種からの収穫を得るには時間の力も必要だ。
種の種類によって収穫までにかかる時間はそれぞれである。
蒔いた種は必ず収穫できることを信じ、収穫の時を待たなければならない。

つまり、より良い人生を手に入れるためには正しい選択、優れた人格、情熱、行動、時間が必要ということだ。

思考を変えれば世界が変わる。

思考を変えれば世界が変わる。

見えている世界はレンズに映る虚像である。

今、私たちの目の前に広がる世界は私たちの思考が創り出したものだ。
同じような時間・空間の中で生きていても、人によって見えている世界は異なる。
同じものを見ても人によって違って見えるのは、全ての人が各々の解釈のフィルターというレンズを通して普遍の事実を自身の事実として認識するためである。
つまり、今見えている世界は自身のレンズによってつくられているということだ。

不安のレンズで見れば、私の世界は常に混沌に満ちる。
恐怖のレンズで見れば、私の世界は常に危険に満ちる。
疑心のレンズで見れば、私の世界は常に悪意に満ちる。
憤怒のレンズで見れば、私の世界は常に憎しみに満ちる。
嘆きのレンズで見れば、私の世界は常に不幸に満ちる。
感謝のレンズで見れば、私の世界は常に幸運に満ちる。
愛のレンズで見れば、私の世界は常に光に満ちる。

変化の原点にあるのは、自身の「ものの見方」である。

ものの見方が変わると思考が変わる。
思考が変わると姿勢が変わる。
姿勢が変わると行動が変わる。
行動が変わると結果が変わる。

相手や環境の変化を求めても本質的な解決はできない。
もし、今の世界を変えたいと思うのなら、内側の変化で外側に影響を及ぼすということを考えてみよう。

真の成功を得るために自身の視野を広げる。

ここまでで述べたように、全ての人は独自の世界の中で生きている。
様々な立場の人達がいて、彼らのレンズに映る世界はどれも彼らにとっての真実なのだ。
よって、人間関係において、相手の世界を「それは事実ではない」と否定することは理にかなっているとは言えない。
できるのは相手の見えている世界を知ろうとすること。
そして、「それもひとつの解釈」として受け入れること。
そうやって自分の見方を拡げることで自身の影響力を外に拡げていくことができるようになる。
真の成功、長期的な豊かさを得るためには、自分の内面(世界の見方)を変えることで影響力を高めることが大切なのだ。

状況を変えたければ、まず自分たちが変わらなくてはならない。
そして自分が本当に変わるには、ものの見方を変えなくてはならない。

7つの習慣 デイリー・リフレクションズより

明確な目的意識をもって活動する。

明確な目的意識をもって活動する。

何かを成そうとするときには、目的を明確にすることが大切だ。
それは明確な目的をもって活動する事で潜在意識の力が十分に発揮され、より成功する可能性が高まるからである。

明確な目的意識を持つとはどういうことか?

明確な目的意識を持つということは、なぜそれを成し遂げたいのか理由を明らかにし、それを成し遂げたときに自分がどのような状態になっているのかを鮮明にイメージすることである。

明確な目的意識の有無で結果にどのような違いが出るのか?

明確な目的がない場合の問題点に関して考えてみよう。

明確な目的がないことにより、3つの問題が生じる。

1.進むべき方向が定まらない。

最初の問題は目的が把握できていないことで、間違った努力や決断をしてしまうことだ。
目的地が明らかになっていないことが原因で、いざ行動を起こす時に、本来進むべき方向ではない間違った方向に進んでしまうことが往々にしてある。
そして、自分は目的地に近づいているのか疑心暗鬼のまま進んでいると、次第に自分の決断、行動に自信が持てなくなってくる。
このような状態では、他人の意見や周囲の環境に流されやすくなってしまう。 (他人の意見を傾聴することと、他人の意見に流されることとはまったくの別物である。)
他人の意見に流されていると、難しい判断を迫られる場面で、間違った決断を下してしまうことがあるので注意が必要だ。

2.前に進むためのエネルギーが枯渇する。

次に問題となるのが活動のためのエネルギーの枯渇に関してだ。
目的が明確になっていないと、潜在意識の力を活用することができない。
必然的に顕在意識の力のみで進まなければならないということだ。

顕在意識の力には3つの特徴がある。
- 顕在意識は自発的に意識している間しか使えない。
- 顕在意識での活動(思考にしろ行動にしろ)では、エネルギーを消耗する。
- エネルギーがなくなると顕在意識での活動はできなくなるので、睡眠や瞑想でエネルギーを回復させなければならない。

つまり、顕在意識の力のみで目的を成し遂げるには限られたエネルギーをやりくりしながら前に進まなくてはならないということだ。
そして、当然のことだが目的地が分からず走り続けるのは精神的な負荷が大きい。
これを続けることで時間の経過とともに、活動のためのエネルギーを激しく消耗していくのである。

3.ゴールに辿り着けない。

最後の問題はゴールが明らかになっていないことで、いつまで続けても目的達成がされないことである。
目的が漠然としたものだと、目標地点まで到達できたとしても、そこに到達したことに気がつくことができずに永遠に見えないゴールを目指して彷徨い続けるといった状態に陥る。 このような状態になってしまうと達成感が得られないばかりでなく、次の目標地点を設定することもできないので成長が遅くなってしまう。

明確な目的を持っている場合はどうであろう?

1.進むべき方向が確信できているので、迷わずに最短で進むことができる。

明確な目的があれば、そのためにやるべきことや判断することは自明である。 そのため、見当違いの努力をしたり他人の意見に流されるといったことがなくなる。

2.前に進むためのエネルギーが無限になる。

目的遂行のためのエネルギーに関しては、潜在意識の力を活用できる点が大きな違いとなる。
潜在意識の力とは「求める結果を脳に入力すると、それを現実にするために脳が自動で処理して出力する力」である。

潜在意識の力の強みは以下の3つだ。
- 睡眠中も含め24時間休むことなく働き続けること。
- いくら使ってもエネルギーを消費しない。
- あらゆる情報にアクセスし最適解を出力する。

これらの強みにより、エネルギー残量に左右されることなく質の高い結果を出すことができる。

3.ゴールが自明である。

当然ながら、目的が明確であれば達成された状況というのも明確に示される。 これによりゴールに至ったら十分な達成感を感じ、次に向けての切り替えができるようになる。

明確な目的を持って始めるということは、潜在意識を使って結果を出すということである。

目的が大きなものである程に潜在意識の力の有用性は高くなる。
何か大きなことを成し遂げたいと思った時には、目的を明確にすることに十分に時間をかけよう。 結果的にはそれが一番の近道なのだから。

潜在意識の偉大な働きを知った者の行動と、それに気がつかない人とでは同じ行動といってもその行動様式には大きなちがいが出てきます。
たとえば、ふつう何事かを成し遂げようとするとき、その行動のプロセスは「得る」→「する」→「成る」と進みます。
野球を例にとると、まず道具が必要になる。 グローブやバット、ボール、ユニフォームをまず手に入れます。
これが「得る」です。
次にこれを使って、野球に打ちこむ。
これが「する」の段階です。
ここで技術を身につけて、プロ野球の選手になる。 ここで「成る」に到達するわけです。
これがごく一般的な行動パターン。
しかし潜在意識を十分に活用すると、このパターンが「成る」→「得る」→「する」となります。
つまり最初に自分がプロ野球の選手として活躍する姿がある。
もちろん、この場合の「成る」はイメージの世界でのことですが、まず自己のイメージが先行することが非常に大切である。
ここから出発するのと、ただ懸命に練習をして、結果として目標に到達するのとでは同じようでいて、ずいぶんちがうものです。

新装版 マーフィーの黄金律より

幸せは探しにいっても見つからない。

幸せは探しにいっても見つからない。

幸せは物質ではない。
幸せは目に見ることも手に取ることもできず、定量的に量ることもできない。

「幸せ」はあらゆる生物の中で人間のみが持つ独自の概念だ。

「幸せ」が「人間のみが持つ独自の概念」ということは、「人間の外側には存在しない」ということだ。
(どこかに落ちていたり、埋まっていたり、売っていたりするようなものではない。)

では、「幸せ」はどこにあるのか?

「幸せ」は確かに存在するが、「人間の外側には存在しない」…ということは、「人間の内側に存在する」ということになる。

つまり、幸せな人と幸せでない人との違いは、内側に存在する幸せに気づいているか否かということだ。

例えば、同じ食事を食べるにしても、ある人はそこに何の幸せも感じないが、別の人は涙が出るほどの幸せを感じるものだ。

「幸せになりたい」と思うのなら、まず「既に自分は幸せである」という可能性について考えてみよう。

幸せは、新しい家、新しい仕事、新しい友人などの中に隠れているものなどではなかったのだ。
それはまた、決して売り物などでもない。
自分自身の内側に満足と安らぎを発見できない者は、それを求めて他のいかなる場所を探し回ったとしても、ただ時間を浪費するのみである。
幸せを外側に求めたとき、手にできるものは落胆のみである。

あなたに成功をもたらす人生の選択より

困難にぶつかったときには…

困難にぶつかったときには…

もし、困難な障害が私たちの目の前に立ち塞がって途方に暮れてしまうような時には、この試練から得られるものについて考えよう。

その困難には意味がある。

困難が現れたということは、「今」が次のステージに上がる機会だ。
何ができるか考えよう。
闇雲に悩むのはもう終わりにしよう。
悩んでも事態は好転しない。
悩む代わりに考えるのだ。

上手く切り替えられなくてネガティブな思考を繰り返してしまうのなら、頭の中に浮かぶ思考を全て紙に書き出そう。
何度も繰り返し思うのなら、何度も繰り返し紙に書き続ける。
書くときには判断をしない。ただひたすらに思考を書き写すことに集中する。

しばらく続けると気持ちが落ち着くはずだ。

気持ちが落ち着いたら自分の書いた内容を眺めてみよう。
そして、事実と解釈を切り分けてみよう。

冷静に見ると大半が解釈であることに気づくはずだ(他人がどう思うかなどは全て解釈だ)。

ここまでくれば、「悩む」から「考える」への切り換え準備は万端だ。

「事実」に対して、自分が行動しなければならないこと、行動した方が良いと思われること、新しい解釈を考えていく。

そして、行動に移すのは早いほうがよい。
行動している間は「不安」や「恐怖」を感じにくい上に、行動から生じる結果により新しい解釈を得られることもあるからだ。

新しい解釈については常に意識しよう。
その困難にどのような意味付けをしたのかによって得られる経験が変わってくる。

良い経験をしよう。

大丈夫。

明けない夜はない。

難題に挑戦するなら、困難な時もあるだろうと覚悟する必要がある。
難題や困難を避けようとしてはいけない。
難題や困難を歓迎しなさい。
心から歓迎しなさい。
神からの偉大な贈り物だと思いなさい。
他との関係のなかで-そして人生で-するべきことができる栄えある機会だと思うことだ。
困難にぶつかったとき、パートナーを敵だの対立相手だのと考えないように努力しなさい。
どんなひとも、どんなことも敵だと思わないこと、それどころか問題だとも思わないことだ。
すべての問題をチャンスだととらえる力を養いなさい。

神との対話―宇宙をみつける自分をみつける (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)より

意識の力を利用して大切なものを手に入れる。

意識の力を利用して大切なものを手に入れる。

今、私達は本当に大切なものを優先して生きているだろうか?
もし大切なものを優先できていないと感じるのならば、一度立ち止まって自分にとっての大切なものについて考えてみるのがよいだろう。

大切なものを手に入れたければ、大切でないものを棄てるという決断が必要である。

なぜ、そう言えるのか?

私達に与えられた時間には限りがあるからだ。

限られた時間を何に使うのかは選択することが出来る。
選択権があるということは選択の結果に対して責任があるということだ。

大切でないものに時間を使うということは、大切なものに時間を使わないということを選んだということである。
その選択の結果として大切なものを失ってしまったとしても言い逃れの余地はない。

それでも大切でないものを選んでしまうということは往々にしてある。
問題は大切でないものに時間を費やしている時にはその状況を自覚できないということである。

私達が意識できることには限りがある。
大切でないものに時間を費やしている間はそちらに意識が集中し、大切なものは意識の外に押し出されてしまうのだ。

では、どのようにして大切なものに意識を向けるのか?

大切なものを常に意識するための方法は2つある。

1つ目の方法は大切なものの事で頭の中が一杯になるほど熱中すること。

これは人生を捧げる程のレベルで、そのものに向き合っている状態だ。
既にこのような状態で大切なものと向き合えているのなら幸運だ。
大切でないものに意識を奪われることはない。
他人が何を言おうと関係ない。
今、自分は純度の高い素晴らしい人生を生きていると確信できるだろう。
このような状態で日々過ごせたら理想的ではあるが、私達凡人は当然ブレてしまうこもある。
そこで2つ目の方法だ。

2つ目の方法は常に大切なものが意識に飛び込むような仕組みをつくるということ。

意識のブレを補正するために、大切なものが五感を通して外側から訴えてくるような仕組みを人為的につくってしまうのだ。
五感のあらゆる刺激を利用するのが最も効果的なのではあるが、その中でも大切なものを見失わない人々がよく利用するのは視覚からの刺激だ。

『大切なものの見える化

やることは単純で「大切なものを書き出して日に何度も見る」ということ。
それは、ミッション・ステートメントであったり、ノートや手帳に書き込む10年後の自分の姿であったり、常に持ち歩く大切な人の写真であったりするのだが、要は「大切なものを忘れないように何度も繰り返しインプットする」ということだ。

「大切なものがある状態」を繰り返しイメージすることで、脳はそのイメージと現実世界との差異をなくすべく自動運転を始める。
成功者がゴールのイメージを描くことを大切にするのは、この見えない力の大きさを実体験として知っているからだ。

もし大切なものを優先できていないと感じているのなら、まずは自分にとって大切なものを書き出すことから始めてみよう。

人生において最も大切なものは時間である。

人生において最も大切なものは時間である。

多くの大人が「時間は大切だ」と言う。
しかし、本当にその価値を理解している人は多くない。

すべての人にとって有限であり、何をするにしても必ず支払わなければならないのが時間である。

言い換えるなら、時間はあらゆるものに交換可能な『人生の通貨』である。

『人生の通貨』の使い方は人によって様々だ。

ある人は、労働という形で『人生の通貨』を『物流の通貨(お金)』と交換し、生活の糧を得る。

ある人は、『人生の通貨』を『安易な娯楽』と交換し、自己嫌悪感を得る。

ある人は、家族と共に過ごすことで『人生の通貨』を『経験の共有』と交換し、愛を得る。

『人生の通貨』を何と交換しようと、それ自体に善悪はない。
あるのは結果だけである。

私たちは生まれてから今に至るまで毎秒全ての時間を何かに使ってきた。

その結果が今だ。

既に使ってしまった時間は取り戻せないが、これから使う時間は選ぶことができる。

さて、今日の残された時間を何に使おうか?

毎日、時計が深夜零時を回ると、86,400秒が自動的にあなたの人生体験に加わる。
それはあなたのいちばん価値ある財産だ。
そのうちでどれだけの時間、感動を味わえるだろう?
どれだけの時間、一生忘れない経験ができるだろう?
時間の使い方を決めるのは、あなた自身だ。
人生の1秒1秒は使って楽しむためにある。
1日の間に活用しなかった時間は、二度と返ってこない。

7(セブン) 1週間のうち何日を特別な日にできるだろうより

常に好奇心をもって、変化し続ける。

常に好奇心をもって、変化し続ける。

生きていく上で変化は必要なのか?

私たちはどれだけ年を重ねていたとしても常に変化が必要である。

何故なら万物は常に変化している。
しかも、その変化の方向は退化ではなく進化だ。
周りの環境が進化していく中で、自身が変化しないということは相対的な退化を意味する。

進化するということは、変化するということ。

そして進化するためには、変化を許容する心が必要だ。
しかし、人は太古からの生存本能により、「今いる場所は安全、変化は危険」とプログラミングされている。
そのため、脳は変化を察知すると本人に不快感を感じさせ以前の状態に戻そうとする。
この「以前の状態に戻そうとする内部システム」はとても強力で意思の力で抗うのは難しい。

これが新しい習慣が身につかない原因だ。

しかし、裏を返せばこのシステムを味方につければ意識の力を使うことなく習慣を維持できるということも言える。

習慣を自在にコントロールできるようになると、人生のコントロールができるようになる。

変化の話に戻ろう。

望む変化があり、先述の「脳の変化を嫌うシステム」に対抗しようという時には、意思の力で脳を服従させるのではなく、イメージの力で脳を味方につけるのだ。

脳の判断基準は単純だ。
「快」か「不快」かで判断する。
特に「不快」に対しての拒絶は強い。
変化のために「〜しなければ」「〜してはいけない」と思った途端に脳は全力で変化を妨害してくる。

このようなときには変化のために犠牲になるものを意識するのではなく、変化の結果として得られるものをイメージすることにフォーカスするとよい。

イメージを描くときには変化の結果として得られるものを五感で感じられるレベルまで具現化することが大切である。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のそれぞれが何を感じるかを鮮明にイメージし、そのイメージを繰り返し思い描くことで、あたかも実際に経験したことかのように脳内に焼き付ける。
これができるようになると望む変化を起こすことが容易になる。

自分で決めたことを実行できないのは、意志が弱くて誘惑に負けてしまうからではない。
君が、自分の願望をきちんと育てていないからだ。
もし君が、心から望む一つの願望を大きく育てれば、他の誘惑( 小さな願望)に負けることは無くなるだろう。

四つ話のクローバーより

サルのマネジメント

サルのマネジメント

1分間マネジャーの時間管理 (フェニックスシリーズ) ケン・ブランチャード, ウィリアム・オンケンJr, ハル・バローズ パンローリング より、マネジメントについて考える。

本書では、マネジャーが膨大な仕事に追われながらも、生産性がなかなか高まらない理由を「サル」の比喩を使い論理的に説明している。

まずは、「サル」が何なのかを定義していこう。

サルとは「次の対応」である。

本書において1分間マネジャーと呼ばれている敏腕マネジャーが新人マネジャーである主人公に「サル」を説明する場面の内容がとてもわかりやすいので、そのまま引用する。

「僕は今、社内を移動しているとしよう。途中、廊下で部下とすれ違い、話しかけられる。『おはようございます、 課長。ちょっと、いいですか。じつは現場で問題が起きまして……』問題と聞いて無視するわけにはいかないから、僕は足を止め、部下の話に耳を傾ける。だいたいの説明を聞くうちに、あくびが出てくる。僕にとって、 その程度の問題は問題のうちにも入らない。しかし時間はあっという間に過ぎていく。腕時計に目をやると、5分ぐらいかと思っていた立ち話は30分にもおよんでいた」

「先方と約束した時間はすでに過ぎている。部下の話を聞くかぎり、指示を出す必要があることは分かったが、 どう指示していいのかはまだ分からない。そこで僕は『非常にゆゆしき問題だが、今はゆっくり話している暇がない。少し考えさせてくれないか』と一応の返事をする。そして、ふたりは別れた」

〈1分問マネジャー〉は話を続けた。

「今のやりとりを離れたところから観察していれば、ふたりのあいだに何が起きたのかは一目瞭然だ。ところが、渦中の当事者はほとんど分からない。立ち話が始まるまで、サルは部下の肩に乗っていた。立ち話が始まると、 部下の案件は僕と部下の共通案件になるから、サルは僕の肩に片足を移動した。そして僕が『少し考えさせてくれないか』と言った瞬間に、サルはもう片足も僕の肩に移動させる。部下は10キロほど身軽になって、その場を去るんだ。どうしてだか分かるかい?サルが僕の肩に完全に乗り移ったからだ。「部下の言う"問題"は部下が担当するプロジェクトで発生したとしよう」「部下にはその問題に対応するだけの能力がある。その場合、サルを預かった僕は、本来なら部下がやるべき仕事をふたつ引き受けたことになる。ひとつは問題への対応、もうひとつは進涉状況の報告。つまり、こういうことだ—— 」

サルのいるところに2つの役割が生じる。世話係と監督だ。「この例だと僕か世話係で部下がその監督。部下は自分が上役であることを確認したいから僕のオフィスを1日に何度ものぞいて『こんにちは。例の件、どうなりました?』と聞くわけだ。そして満足のいく回答が得られないと早くやれとせかし始める……本来は部下の仕事なのにね」

1分間マネジャーの時間管理 -フェニックスシリーズより

「次の対応」を引き受けるということは、サルの世話係を引き受けるということである。

本書の指摘は「膨大な仕事に追われながらも、生産性がなかなか高まらないマネジャーは自分の部門全体のサルの世話係になってしまっているのではないか?」ということである。

部下の仕事を上司がやってしまうという問題は、実際にあらゆる職場で起きている。 そして上司である当人はその状況を「自分は仕事をしている」と思っているのが何よりの問題である。

逆に優秀なマネジャーは自身の持つリソースの配分が非常に上手い。

他人の「サルの世話」に限られたリソースを使うのではなく、「サルの管理」にリソースを使うのである。

この違いを言い換えるなら、

前者は「サルの世話に自分のリソースを使う」

後者は「サルの世話に他人のリソースを使う」

ということである。

その結果として起こることは、

前者は「部下が増えるほどリソースが枯渇して生産性が低下する」

後者は「部下が増えるほどリソースが増え生産性が向上する」

というサイクルである。

ちなみに「部下に仕事をやらせているが上手くいかない」という場合は、「サルの管理」ではなく「サルの放任」になっている可能性を疑うべきである。 世話係が世話係としての仕事をできるようにすることも「サルの管理」の仕事の一つである。

サルの取り扱い方

では、サルはどのように管理していけばよいのだろうか? サルの管理者の仕事を考える。

サルを特定する

サルの正体を見極めるには「次の対応」は何か?を考えることである。

上司と部下は「次の対応」を決めるまで話し合いを切り上げてはいけないとしている。「次の対応」とは、例えば「最終コストの計算」「プレゼンの準備」「案作の再検討」「企画書の提出」「契約の締結」などだ。

1分間マネジャーの時間管理 -フェニックスシリーズより

上司と部下との間でサルを特定し、「次の対応」を共通認識にすることは重要である。 このステップを蔑ろにしてしまったことにより、部下が行動を起こせなかったり、見当違いな行動を起こしてしまったということは少なくない。

「このくらいは当然わかるだろう」という思い込みは絶対に避けなければならないということだ。

サルの担当者を決める

サルが特定できたら、次はそのサルの世話係を明確にする。

可能な限り、現場に近いポジションの者(部下)がサルの世話をするのが望ましい。

その理由は3つ。

  1. 一般的に現場にいる人間の方がそのサルの特性をよく知っており、世話係として適任であるということ。これは、普段からサルの発生源の近くにいる者の方が、そのサルが生まれた背景や周りの環境をよく知っていることや、サルの体調変化に気づきやすいということである。
  2. 全体の生産性を考えたとき、中枢のリソースが枯渇し、現場のリソースが余っているような状態は非常にもったいない。これは、それぞれのポジションの影響の輪の範囲の違いである。より影響の輪が大きい者にリソースを残した方がそのリソースは有意義に使用することができる。
  3. サルの世話を通して部下自身の経験値が上がる。これは、単純にOJTにより個の能力を高めるということである。マネジャーにとっては大した経験にならない仕事でも、新人社員にとっては学ぶことが多い仕事であったりする。この経験を通して部下のリソースの総量を底上げしておくのである。

このように基本的にはサルの世話は現場で行うようにするのだが、当然ながら例外のサルもいる。 それは、上級管理職にしか担当できないサルである。

このサルの特徴としては、

  • サルの健康状態が会社の命運に直結している。
  • サルの状態を把握するのに、より高高度からの視点を必要とする。
  • サルにかかるコンプライアンス上の問題で上級管理職にしか取り扱えない。
  • サルの世話に必要なスキルが現場担当者のスキルを大幅に上回っている。

などがあり、このようなサルを正当な理由なく部下に担当させることは上司としての職務放棄といえる。

ただし、担当者が上司であったとしても全ての世話を上司自身が行わなければならないということはない。 サルを切り分けて、部下のリソースで世話できる部分は部下のリソースを使っていくのである。 この担当者≠世話係という認識の有無がマネジャーとしての生産性に少なからぬ影響を及ぼしていると感じる。

極端な例をあげると、「会社の中長期の方向性を決めるプランを策定する」というサルに関しては、経営責任者が担当者であることは明らかである。 しかし、このサルに関わる全ての仕事を担当者(経営責任者)が一人でやらなければならないということはない。 必要なデータを各部門長に出させたり、参謀に考えられる複数のプランを出させたりとサルを部分で切り分けて世話係を委任するのである。 突き詰めれば担当者(経営責任者)が世話しなければならない部分は最終決断のみである。 それでもこのサルの担当者は経営責任者であり、彼が結果に対しての全ての責任を負う。

話が大きくなったが、マネジャーに関しても同じことが言える。部下のリソースが活用できるのであれば自分が担当のサルであっても世話を任せられる部分は任せていくのである。

いつまでに何をするのか?

「次の対応」を明確にし、担当者を決めたとしてもサルのケアとしてはまだ不十分である。 サルが「いつまでにどうなっているか」を明確にしなければならない。 ここでの期限は具体的に設定する。「来週中」ではなく「○日の○時まで」といった表現である。 そして、その時点でサルがどうなっていることを望むのかも明確にする。

これで無事サルは本来いるべき場所に収まることができたわけだ。

だが、サルの特定ができて、世話係も決まったらそれで終了というわけにはいかない。

サルは生き物なので世話係を任せるにあたり健康管理などのアフターケアについての取り決めも必要なのである。

サルに保険をかける

上司と部下はすべてのサルに保険をかけるまで話し合いを切り上げてはいけない。 保険には2種類あり、サルごとにどちらの保険を適用するのかを決めていく。

事前承認

1つ目の保険は「事前承認」である。 この保険のメリットは状況が手遅れになるのを防ぐことができることである。 デメリットはマネジャーの時問と現場の裁量が犠牲になるということである。 この保険が適用される状況はサルが抱えているリスクが大きい場合や世話係が未熟な場合などである。

事後報告

2つ目の保険は「事後報告」である。 この保険のメリットは部下にとっては自由裁量が増え、マネジャーにとっては現場を監督する手間が省けるということである。 デメリットは報告を受けたときにはすでに手遅れで、致命的なダメージを受ける可能性があるということである。 この保険が適用される状況としては、サルの抱えるリスクが致命的でない場合全般といえるであろう。 生産性の面を考えると、こちらの保険を使うサルが多い方が良いのだが、常に最悪の事態はシミュレーションしておくべきである。

保険の切り替え

サルの状態は流動的であるため、途中で保険の種類を切り替えるようなケースもあるので留意しておく。

サルを特定し、担当者を決め、保険をかけるところまでが初回の面談で行う内容だ。

ここからは、初回面談後のアフターフォローに関する内容だ。

サルの健康診断を実施する

サルの健康診断は「定期健康診断」と「緊急健康診断」とで構成される。

定期健康診断

上司と部下とでサルの定期健診の日程を決め、そのスケジュールでサルの健康状態のチェックを行う。

定期健診には2つの狙いがある。

1つ目の狙いは世話係の日ごろの成果を評価することである。 2つ目の狙いは問題の早期発見で、サルが病気で手遅れになる前に手当てすることにある。

定期健診の頻度は部下の成熟度とサルの抱えるリスクのレベルによって決めていく。

緊急健康診断

緊急健康診断の実施は世話係発信のものと管理者発信のものがある。 世話係発信の緊急健康診断のルールとしては、本書でマネジャーは以下のように述べている。

サルが病気にかかったら、まずは現場ができるかぎりの手を尽くす。それでも症状が長引いたり、悪化したりして、サルが治療に反応しなくなったときは心肺停止に陥る前に、私のところに診せにくる。

1分間マネジャーの時間管理 -フェニックスシリーズより

管理者発信の緊急健康診断はマネジャーが病気のサルを発見した場合において健診を前倒しで行い、治療を始めるというものである。

このケースでは世話係は「自分でサルを治療できる」と訴えるかもしれない。しかし、サルが病気になったことは動かざる事実であり、健診の前倒しは必ず行うべきである。 健診の前倒しを伝えることで世話係は健診日までに回復のために打てるだけの手を打って今後の治療方針に関しても考えてくることだろう。それだけでも健診を行う意義がある。 緊急健康診断の結果、サルの回復のためにマネジャーの助力が必要だと判断された場合にはマネジャーのリソースは惜しまず活用する。

以上の方法を用いてマネジメントを行っていくことで、現場に自由裁量を与えながらマネジャーのリソースを確保し、組織の生産性を高めていくことができると考える。

やる気の枯渇に効く3つの戦術

やる気の枯渇に効く3つの戦術

やる気の正体はウィルパワーである。

やる気の残量というものは実体がなく定義が曖昧であるので、心理学者のロイ・バウマイスターの提唱するウィルパワーという概念に沿って考えていこう。

ウィルパワーを一言で表すと「目標に向けて何かを成し遂げる前向きな力」である。

具体的な例で言い換えると「 タスクリストにある膨大なタスクを遂行するためのエネルギー」「日々の家事を行うエネルギー」「勉強をするエネルギー」であり、 やる気=ウィルパワーと考えて差し支えないであろう。

ウィルパワーを上手に使うには?

ウィルパワーを上手に使うには、ウィルパワーの総量をいかに高めるかだけでなく、いかに消耗させないかも同じぐらい大事である。

では、ウィルパワーは何によって消耗されるのか?

ウィルパワーを消耗させる要因は5つある。 それぞれ見てみよう。

ストレス

ストレスの原因は、人間関係や仕事内容など多岐にわたるがストレスにさらされている間は時間経過と共にウィルパワーを消耗していると考えてよい。

マルチタスク

マルチタスクもウィルパワーを消耗する原因である。マルチタスクをこなす場合、脳は同時に複数のタスクを処理しているようにみえても実際には複数のタスクを切り替えながら処理しているのである。 自転車を漕ぐにしても、電化製品の電源を入れるにしても、あらゆることの初動には最も多くのエネルギーを要する。 これは脳においても例外ではない。 マルチタスクでこまめに処理を切り替えるということは、それだけ処理の初動を増やすことでありウィルパワーを激しく消費するのも当然と言える。

労働

労働もストレス同様に時間経過と共にウィルパワーを消費していく。 連日残業が続くなどすると慢性的なウィルパワー不足になることもあるので注意が必要である。

血糖値の低下

ウィルパワーの原料は睡眠とブドウ糖である。 ブドウ糖の不足は低血糖状態を誘発し、それはウィルパワー不足へと直結する。

決断

これは人生を左右する大きな決断から、レストランのメニューを選ぶ小さな決断まで日常の生活でも様々なものが存在する。 生産的であるためには大切な決断にウィルパワーを投入し、その他の事には極力ウィルパワーを使わないようにすることである。 スティーブ・ジョブズがいつも同じ服を着ることで無駄にウィルパワーを消費しないようにしていたことが好例である。

このようにウィルパワーを消耗させる要因は日常生活の中あらゆるところに潜んでいるので、ウィルパワーの消費を節約しつつ不足に陥ってしまった時には速やかに回復させる手段を身につけることが大切である。

戦略的にウィルパワーを回復する。

仕事中に眠気や空腹感、ネットサーフィンなどの誘惑を感じるのはウィルパワー枯渇のサインである。 そして、それらの誘惑に乗ることは睡眠や糖分補給、ストレスから注意を逸らす行為であり、ウィルパワーを回復させる手段と繋がっている。 だからといって欲求のままに誘惑に乗ることは賢明とは言えない。

同じ休憩をするにしても戦略的にいこう。

誘惑に負けてとる休憩は受け身であり罪悪感が残るため、セルフイメージを下げるという結果に繋がる。 それでいてウィルパワーの回復効果はそれほど高くない。

逆に戦略的な休憩では、主体的な行為であるため自己肯定感が高まり、セルフイメージを高めるという結果に繋がる。 そして、計画された休憩であるため効率的にウィルパワーを回復させることができる。

では、ウィルパワーを保つための具体的な戦術について見ていこう。

ウィルパワーを維持するための3つの戦術

ウィルパワーは睡眠とブドウ糖によって作られる。 これが一般的に午前中は生産性が高い時間と言われている理由だ。 よって、ウィルパワーの回復を考えるにあたって睡眠と糖分補給は必須の要件である。

パワーナップでウィルパワーを回復させる

戦術の1つめは睡眠によるウィルパワーの回復だ。

パワーナップと呼ばれる短時間睡眠による脳内メモリの解放法がある。 これは平たく言えば「昼寝」である。 ただし、科学的に研究された昼寝ということがポイントだ。 理論的にはスリープ・イナーシアを回避するための睡眠として…とあるが、簡潔に言えば「頭がスッキリして気持ち良く起きられる睡眠時間で昼寝する」ということだ。

やり方は至って簡単。 20分後に目覚まし時計をセットして仮眠する。 以上。 更に効果を高めるために仮眠の直前にコーヒーを1杯飲むというのもある。 これはカフェインの効果が20分後に効いてきてより目覚めを促進させるためである。

パワーナップにおいて大切なことは30分以上寝ないこと。

30分以上寝てしまうとスリープ・イナーシアという睡眠の惰性が発生してしまい気持ち良く起きられないのである。

パワーナップは実際に行うと、その効果の高さに驚く。 20分間の睡眠であっても長時間しっかり眠ったような感覚で頭がスッキリしているのがよく分かる。 私はパワーナップがウィルパワーの回復効率が1番高いとも感じている。

低GI食品摂取でウィルパワーを回復させる

戦術の2つめは低GI食品摂取でのウィルパワーの回復だ。

前述のようにウィルパワーの原料として糖分補給は必須である。 糖分補給の速効性だけで見れば吸収の早いブドウ糖が1番なのであるが、戦略的に1日の生産性を高めるという観点から見ると低GI食品と呼ばれている食品がよい。

ブドウ糖が最善でない理由は血糖値の上昇速度による。 ブドウ糖は吸収が早く急激に血糖値が高まるため、体が高まった血糖値を下げるために膵臓からインスリンを分泌する。 インスリンによって血糖値が下げられることで結果的に短時間での血糖値の上下変動が生じる。この生理作用はウィルパワーにとっては好ましいものではない。 理想は安定して少しずつ糖分補給を行うという状態である。 だからといって5分ごとにブドウ糖を少しずつ摂取するというのは非現実的である。

ここで低GI食品の出番である。

GI値とは、その食品が体内で糖に変化し、血糖値をさせる上昇スピードを表す指標のことであり、低GI食品はそのスピードが低いもののことである。 つまり、低GI食品を1回摂取することでブドウ糖を少しずつ何度も取り続けるのと同様の効果を得ようというわけだ。

間食でウィルパワーを補給するのに適した低GI食品としてはナッツ類がよい。 ちなみにダイエットにも使用される。 摂取量としては片手に収まる程度が目安だ。

マインドフルネスでウィルパワーの浪費を抑える

戦術の3つめはウィルパワーの浪費を抑えるためのマインドフルネス瞑想だ。

この戦術は前述の5つのウィルパワー消耗原因のうち、ストレスとマルチタスクに対して特に効果を発揮する。

マインドフルネス瞑想は仏教の瞑想などをベースにし、宗教色を排した心のエクササイズの一種で、集中力の向上やストレス軽減効果が期待されている。

マインドフルネスでは何をするのか?

マインドフルネスの大切な特徴の1つは、「今の瞬間」に意識を向けることです。

グーグルのマインドフルネス革命―グーグル社員5万人の「10人に1人」が実践する最先端のプラクティスより

マインドフルネス瞑想のやり方は、座禅を組むなどして、呼吸に意識を集中させる。 途中で様々なことが頭に浮かぶが、気にせず再び呼吸に意識を戻す作業を繰り返す。 これを1日10~30分、3~7週間続けると思考や感情をコントロールしやすくなる。

そのほかに心に浮かんだことを言語化する「ラベリング」、それをひたすら紙に書き続ける「ジャーナリング」、食べ物の味や舌触りをじっくり観察する「イーティング」がある。いずれも自分の思考や状況を客観的に捉え「今」に集中する癖をつけるのが目的だ。

マインドフルネス状態は究極のシングルタスク状態とも言える。 マインドフルネス瞑想で鍛えた脳は、瞑想後も長い間、マインドフルな「状態」を維持できるようになるので、ストレスやマルチタスクでウィルパワーを消耗するのを抑えることができるようになる。

これらの戦術を1日という時間枠の中で戦略的に活用し、生産性を高めていこう。

書くことで考える

書くことで考える

書くことは考えることのトレーニングになる。

なぜ書くことは考えることのトレーニングになるのか?

その理由は以下の3点である。

1.メッセージを意識する

文章を書く力がつくことは、内容のある話ができるようになることでもある。 なぜなら、それは考える力がつくからだ。 書くときには、どれだけ自分の考えに意味があるのかを確認することがポイントになる。 それによって、書くこと自体が考えるためのトレーニングになる。

原稿用紙10枚を書く力 (だいわ文庫)より

文章を書くということは、何かを伝えるということである。 その伝えたいことは、メッセージとしてどれだけの価値があるものなのかを自問自答する中でメッセージは磨かれ考え方の中核ができていく。

2.頭の中にある情報を整理する

理解していないことは文章にできない

思考を綿密にしていく作業が、書く作業にはともなう。 だから、書くことで脳は鍛えられる。

原稿用紙10枚を書く力 (だいわ文庫)より

なんとなく理解していると思っていても、実際には理解できていないということは多々ある。 本当に理解しているのかということは文章を書くことでハッキリする。 文章を書くための思考を綿密にしていく作業において、真に理解していることと、そうでないことが明らかになるのである。

思考のループを抜け出す

頭の中だけで思考をすると同じような考えを繰り返し、考えが前に進まない。 この問題を解決するためには考えたことを頭の外に書き出すという行為が有効なのである。 考えを文字にして書き出すことで多面的に捉えることができる。

書き出したテーマに関して何度も思考する

ここでは立体的に思考するということが大切である。 具体と抽象を行き来し、その中でアナロジーを見出す。 拡散と収束で思考を練る。 トップダウンボトムアップを繰り返すことで思考をシェイクして深みを出していく。 これらの方法を繰り返し、視点の高度や方向性を意図的に変えていくのである。

3.全体の構造を意識する

400字詰め原稿用紙で四~五枚のものなら、思いつきで書けてしまうことがある。 しかし、10枚以上のものになると、書きはじめる前に、十分に「構築」をしないと書ききれなくなる。

原稿用紙10枚を書く力 (だいわ文庫)より

全体構造を意識することで話の繋がりを意識するようになる。

話の繋がりを意識することで論理的に思考する訓練になる。

全体構造を意識した論理展開ができるようになると、意図した寄り道ができるようになる。

これは、文章の繋がりを意識しアウトラインが見えていることで話が脱線しても、話の本筋に戻ることができるようになるためである。 この意図した寄り道の能力が身につくと、日々の会話やプレゼンにおいても絶大な効果をもたらす。

ところで「文章が書ける」とはどういうことなのか?

「文章が書ける」を定義する

私の感覚では400字詰め原稿用紙1枚が1キロにあたる。 10キロをいきなり走れと言われたら、ほとんどの人が尻込みするだろうし、まず走れない。 しかし、トレーニングをこなせば、10キロ程度ならだれでも走れるようになる。 この10キロ走るという経験と、走れたという自信がもっとも大切なのだ。 私は、書くことにおいては、原稿用紙10枚という長さを書けるかどうかが分岐点だと思っている。 そして原稿用紙10枚を怖がらない人を「文章が書ける人」と定義している。

原稿用紙10枚を書く力 (だいわ文庫)より

原稿用紙10枚を書けるようになるということはどういうことか?

原稿用紙10枚を書けるようになるということを言い換えれば、1つのテーマで4,000字書けるようになるということである。

「文章が書ける」ようになるには?

4,000字の文章を難なく書けるようになるには基礎トレーニングが必要である。

文章を書くための基礎トレーニング

3つのプロセスでの文章構築

文章を構築する3つのプロセス

1.書きたいテーマ(もしくは気づき、主張)を見つける

書きたいテーマの候補を見つけるために日々の経験や着想の断片を集める。 着想を逃さないためにメモを取るのである。 そのため、どのような状況でも10秒以内にメモをとれる用意をしておく。 手段はアナログデジタルを問わない。 それどころか、文字である必要もない。 写真や音声による記録も立派なメモである。 大切なことは必ず記憶ではなく記録に残すということだ。

たった数日でも記憶は暖昧になる。 たった数時間でも記憶は薄れていくのです。 だからこそ、記憶力に頼らず、時間がたっても腐らないメモを書く技術が必要です。 そう、いつでも、メモを見るだけでそのときの発言やポイントが思い出せて、何を考えるべきかが、すぐにわかるメモ。 未来の自分に、考えるきっかけを残すメモを書くべきなのです。

仕事のスピード・質が劇的に上がる すごいメモ。より

メモは一箇所にまとめて保管する。

メモの一元管理の場としてのEvernote

Evernoteを使用する理由は以下の3点である。

1.あらゆる形式のデータをひとまとめに保管できる アナログメモ、デジタルメモ、ウェブクリップ、写真、音声…等の全てを1つの形式で1カ所に管理し、あらゆるデバイスでアクセスするということを考えると現時点では、Evernoteの1択であると思われる。

2.優れた検索機能 着想や経験などのネタの断片を集める段階においては、将来的にどのように活用されるか定まっていないものも多く、その時点ではクラスタリングや階層化できないものが大半である。 Evernoteは検索機能が優れているので、ネタの断片はとりあえずEvernote内に溜め込んでおき、然るべきときに検索をかけることで再浮上させるという方法が上手くいく。

3.コンテキストによる関連情報の検索 Evernoteのコンテキスト機能とは各ノートに関連するノートや記事を自動的に表示するというものである。 この機能により、過去に書いた着想の断片やクリップした記事、時事などの情報と思いがけず出会うというセレンディピティを期待できる。 そして、このセレンディピティは思考に良い刺激を与えるのである。

一定量の着想の断片が溜まったら書きたいことのテーマを決める。

2.テーマから3つのキーコンセプト「言いたいこと」をつくる

テーマから何を主張するのかを明確にし、3つのキーコンセプトを打ち立てる。 つまり、何をメッセージとしたいかをハッキリさせるということだ。 前述のように、このプロセスも考える力をつけるトレーニングになる。 集めた情報や着想という土台の上に、主となるメッセージである3つの柱を立て文章の建築を次のステップへと進める。 ここで注意すべきことは3本の柱の距離である。 即ち、3つのキーコンセプトがあまりに近しい内容であると、出来上がる構造物は狭いものになってしまい、安定感にも欠けるということだ。 逆に3つのキーコンセプトが遠く離れた内容であれば、話の内容が広く展開する大きな建築物が建てられるが、その場合にはそれぞれの柱を繋ぐためのスキルが書き手に求められる。

3.キーコンセプトを結び付けて文章を構築する

キーコンセプトを結び付けるには、「起承転結」のうちの「転」を意識するとよい。 アウトライナーを使用してセンテンスを移動させたり、言い換えたりすることも効果的である。 これらのプロセスを経て、形となった文章をアウトプットする。

このようなアウトプットを繰り返し行うことで、書く力だけでなく、自分の頭で考える力や口頭で伝える力が鍛えられていく。

部下の変化を起こすためのパラダイムシフト

部下の変化を起こすためのパラダイムシフト

内側から変化を起こすにはどうすればよいのか?

NLPでは「変化は3つの方向から起こすことができる」と言われています。

3つの方向とは、

「課題についての話し方を変える」

「課題についての考え方を変える」

「行動を変える」を指します

コーチングのすべて――その成り立ち・流派・理論から実践の指針までより

それぞれの要素を具体的にみてみる。

「課題についての話し方を変える」とは?

「もしこの目標が達成できたら、何が実現しそうですか?」と尋ねられた場合、「もし」という言葉には「不確かさ」の意味がある。

「この目標を達成した時には、何が実現しますか?」という質問では「確信」を感じさせる。

後者のような話の進め方をミルトン・モデルという。

ミルトンモデルとは、催眠療法の第一人者として有名なミルトン・エリクソンがクライアントに対して使用していた巧みな言葉遣いを分析・体系化したものだ。

ミルトン・モデル

リソースや可能性があることを前提に話を進める。

曖昧な表現を使うことで、相手のリソースから連想させる。

NLPでは必ず「違いが何なのか」を明確にする。

現状と将来がどう違うのか、その差を五感の感覚を通して明確に知ることこそが、重要なのだ。

他の質問例としては、「あなたには何かリソースがありますか?」という質問はクローズド・クエスチョンで、前提としてリソースそのものを答えるようにはできていない。

この場合、「あなたが持っているリソースのうち、その状況に対応するにはどれが1番適切でしょうか?」という質問の方が有効だ。

この質問は相手の関心を自分のリソースに向けさせる。

「課題についての考え方を変える」とは?

イメージの具体化

課題に対する考え方が、解決の妨げとなっている可能性がある。

そこで、色々な表象システムを利用するよう勧める。

例えば「将来に関する絵を描く」ことは、「将来について考える」ことよりも有効で、確実に具体化が行える。

事実を見る

「判断」を問題とする場合、「誰がその判断をしているか」「その判断は何を基準にしているのか」を質問する。

「行動を変える」とは?

行動(原因)を変えることにより未来(結果)を変化させる。

行動後の変化のフィードバックが好ましい時には、その瞬間の感情に浸り(アソシエイト)、イメージを鮮明に残すことで良いイメージに再現性を持たせる(アンカリング)。

行動後の変化のフィードバックが好ましくない場合は俯瞰の視点で全体を観察(ディソシエイト)し、事実を分析し、次の行動に活かす。

たった1つの効果的な質問は、トップダウンで行う1時間の面談を上回る効果がある。

思考のパラダイムシフトを起こさせるには、『質問力』がキーとなるのだ。

判断とは選択肢の中から選ぶということである。

判断とは選択肢の中から選ぶということである。

「なぜAを選択するのか」とAだけにポイントを絞って根拠を考えるよりも、「なぜBではなくAを選択するのか」と比較して考えたほうが、Aを選択するということの根拠が、さらに深く、説得力のあるものになります。

世界のエリートが学んできた 「自分で考える力」の授業より

人は何かを判断するときには必ず選択をしている。

何もないところから決めているように感じたとしても、実際には無意識下で選択肢の中から1つを選んでいるに過ぎない。

よって、選択肢がなんであったのかを明確にすることで思考プロセスを辿ることができて根拠や説得力というものが生じるのであろう。

そして、選ばなかった他の選択肢をすべて完全に消し切った時に判断は決断(決意)となるのであろう。

「想い」は単なる願望。

他の選択肢を捨てたときに「決意」となる。

この1冊ですべてわかる コーチングの基本より

決意の本質をついた言葉だ。

安易な目標は願望になってしまうことが多い。

その目標のために何を捨てるのか?

捨てるもの一つ一つに対して真剣に考え抜き、全て捨てることに迷いがなくなるまで自問する。

願望と決意の違い

ダイエットにおける願望と決意

例えば、ダイエットに関していえば。

「2ヶ月で5kg減量する!」

これは決意ではなく、願望である。

「毎日朝30分早く起きてランニングする」

「間食はしない」

「22時以降は食事をしない」

「飲み会の誘いは全て断る」

これらは願望を実現するための決意といえる。

捨てるのは、睡眠欲や食欲が満たされるといった快の感情。

誘いを断ったら相手からネガティブな印象をもたれるかもしれないといった感情。

その他にも色々あるであろう。

そして、これらの決意を破ったのであれば願望は叶わないと思った方がよい。

逆に正しい決意に従って行動できたのであれば願望は叶う。

試験における願望と決意

私は大学生の時、受験対策のオリエンテーションで「過去のデータからこの国家試験に合格するには〜の集中講義を受講し、予備校にも通うべきだ。それらをしなかった過去の学生の合格率は10%である」などと脅された。

その因果関係は正しくないことは分かっていた。

集中講義を受けたから合格したのではなく、合格した人が集中講義を受けていただけのことである。

その日から卒業に必要な試験以外で学校に行くことはやめた。

通学時間がもったいないし、余計にお金を払うことはない。

そして国家試験合格のために決意したことは3つ。

1.毎日、実際の試験と同じ数の問題を解く(わからなくても何かしらの答えは出す)。

2.マルツケをし、間違えた問題は解説を読む。

3.試験日には、試験に間に合うよう会場に到着する。

この3つの決意を守れば必ず合格できると確信していた。

1.の決意の理由は本番に必要なスタミナと時間感覚をつけるためと、実行可能な問題数であるためであった。

始めは過去問題を解くという形をとった。

それまでまったく勉強していなかったので、問題を読んでも意味がわからない。

とりあえず適当な理由をこじつけながら答えを出すといった作業の繰り返し。

2.の決意においてのルールはただ解説を読めばよいというもの。

覚えなくていいし、理解もしなくていい。ただ読む。

当てずっぽうだったとしても、正解した問題に関しては解説を読まない。

想定はしていたものの初日は莫大な時間がかかった。

しかもまったく理解できていない。

そこから1週間は同じ状態が続いた。

精神的にも体力的にもなかなかキツかったのだが、決意と確信があったのでルールは変えずに続けた。

2週間程経つと以前に解いた問題が目に付くようになり始めた。

この頃から所要時間も減り始めた。

1ヶ月経つと前に見たことのあるような問題がほとんどになった。

3ヶ月経った頃には過去45回試験を受けている(2日間かけて行う試験のため)状態なので答えを出すことに関してはかなり熟練している(本当に理解しているかは別として)。

この時期に全国模試があった。この模試は卒業の要件であったため受験した。

結果は全国上位1%であった。

3ヶ月前は下位10%であったので自分でも驚くほどの大きな進展だ。

その後は自信がついたことと、問題解きにかかる時間が日に日に減っていったことで精神的にも体力的にもストレスがなくなった。

それでも3つの決意は守り問題解きは続ける。

半年経った頃にはすべての行程が3時間かからずに終わるようになったので、午後は罪悪感なく好きな事をして過ごした。

そして、試験日が近くなると会場から徒歩圏内のホテルを予約した。

今考えると「試験に間に合うよう会場に到着する」というのは願望の方であった。

決意を正確に表すのであれば、「試験会場が決まった時点でホテルに予約の電話をいれることと、ホテル代を支払う」ということになる。

その後、試験は無事合格した。

このように何か成し得たい願望があるのであれば、その願望が実現すると確信できるだけの行動(すること、しないこと)に対して決意するのである。

行動に対して決意できないのであれば、それはただの願望で終わることであろう。

そもそも心の底から望んでいることではないのであろう。