思考の種

日々の着想、思考を記録していく

人生のすべては、時間の利用の仕方次第で決まる。

人生のすべては、時間の利用の仕方次第で決まる。

私たちが持っている全てのものの中で、最も大切なものは時間である。
時間がなければ、生活の糧を得ることも、成長することも、人を愛することもできない。では、その「最も大切」な時間を私たちは十分に満足できるだけ持っているだろうか?
「自分の所有する時間に対する満足度調査」なるものがあるとすれば、きっと100年前の人類より今の人類の方が低いスコアであろう。

では、過去の人類に比べて私たちに与えられている時間は少ないのだろうか?

もちろんそのようなことはない。
時間はいつの時代も全ての人に平等に与えられている。
いや、むしろ平均寿命が延びたことや、世界の文明が二次関数曲線を描きながらより便利に効率的になっていることを考慮すると現代人の所有時間は多いはずだ。

それなのに、なぜ今の時代を生きる私たちはこんなにも時間の不足を感じるのだろうか?

私たちには選択肢が多過ぎるのだ。

毎秒あらゆる雑多な情報や選択肢が私たちの中に流れ込んでくる。
今地球の裏側で起きている出来事までもが私たちの貴重な時間を奪おうとしてくる。
問題は私たちの時間が圧倒的な量の情報ですでに埋まってしまい、そこから発生するあまりにも多い選択肢の中で身動きが取れなくなってしまっていることにある。

自分の時間を取り戻すには、現状に戦いを挑む覚悟が必要である。

今私たちの持つ時間のスペースを占有している犯人を見つけ出し、それが不要なものであれば即刻私の人生から退場させるという姿勢が必要だ。

時間泥棒を見つけ出す。

時間を取り戻すために戦う覚悟ができたら、まずは時間泥棒の特定に取り掛かる。
時間泥棒は意識の外に逃げるのが非常に上手いので注意が必要だ。
これは、1日の中で何にどれだけの時間を使ったかを思い出そうとしても、重要ではないことに費やした時間は思い出せなかったり、実際より少ない時間であったと認識してしまうということを意味している。

時間泥棒を捕捉するには取り締まりの網の目を細かくしなければならない。
具体的には1日の行動を分単位で記録し、たとえ5分間の行動であっても取り締まりの対象とするのだ。行動の記録は面倒な作業に感じるかもしれないが、1週間だけでもよいので正確に記録をとるようにする。
人は基本的には同じようなルーティーンで生きているので、1週間の時間の使い方を正確に記録すれば、1ヶ月、1年間の時間の使い方も見えてくる。

そして、全ての行動を捉えたら、それらの時間を分類して見極めるという作業を行う。

分類の仕方は自分が何を求めているかで多少変わってはくるが、基本的には「生きるために必要なことをしている時間」「目的のための時間」「それ以外の時間」という分け方で良いだろう。
目的の部分には、「成長」「夢の実現」「家族との絆」「資格習得」などといった自分が時間を取り返したら費やしたい事柄に置き換え可能だ。

分類が済んだら検問を行い、時間泥棒を特定する。

私たちの大切な「目的のための時間」を奪っている時間泥棒は「それ以外の時間」の中にいることが多いので、ここを重点的に検問し人生に不要なものは見つけ次第、人生の外へ強制送還させる。

何かに時間を使いたいと思った時にはまず初めに時間泥棒を退治することが非常に重要なポイントである。

このことに関してよく起こりうる失敗が2つある。

1つは時間泥棒の特定と対処が不十分なまま、新しくやりたいことの時間枠を取ろうとするケースだ。
当然ながら私たちが所持している時間の総量は決まっている。
既存の時間の整理が不十分なままで新しい時間枠を無理に入れようとすることは、すでに水が満杯の器にさらに水を入れようとする行為と同じであり、いくらやる気を注いでも溢れるばかりで定着しない。

もう1つの失敗のケースは、安易に「生きるために必要な時間」を削れば良いと考えるものだ。
例えば一番よくありがちなのが、「睡眠時間を削って時間を確保する」といったものだろう。
「生きるために必要な時間」を削るのは最終手段だ。
安易にこの時間を削るとパフォーマンスの低下が起こったり、場合によっては生活のバランスが崩れて深刻なダメージを受けることもある。
よって「生きるために必要な時間」を削るのは、もう他に削る時間がなくなって、それでもまだそれ以上の時間を要するという緊急事態の時だけにしよう。

大切なのは何をするのかではなく、何をしないかである。

スペースができれば自然に新しいものは入ってくる。もし新しく入ってきたものが自分の人生にふさわしくなければ、またスペースをつくればいいだけの話だ。

ところで、人生を有意義にするための時間の使い方とはどのようなものであろう?

1つの答えとしては、自分のためだけに使う時間を持つことではないかと思う。

社会で生きて行く中では各々に様々な役割があり、その役割の時間を否定するわけではない。
しかし役割の時間だけで、自分の人生を満たしてしまうのは、あまりにもったいないということだ。
貴重な時間を他人と向き合うことだけではなく、自分と向き合うことにも使うことによって、人生はより豊かになるのではないだろうか。
そして、自分のためだけの時間枠を設けることによって、時間の使い方にメリハリがつき、それぞれの役割の時間の能率も上がるであろう。

自分のためだけに使う時間とは、知的好奇心を満たす時間である。内省であったり、読書であったり、瞑想であったり…
時間泥棒から取り返した時間を使い、1週間の中で自分のためだけの時間をどれだけ確保することができるだろうか?
そして、それによって人生がどう変化していくのか?
試してみるのもよいのではないだろうか。

あなたは毎日24時間で生活するしかない。
24時間の中で、健康も楽しみも、金も満足も尊敬も得ていかなければならない。
また、その中で不滅の魂を向上させていかなければならない。
時間を正しく用いること、最も効果的に利用すること、これこそ最も差し迫った切実な問題である。
人生のすべては、この時間の利用の仕方次第で決まるのだ。

自分の時間 (単行本)より